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片野鴨池のコハクチョウとマガン |
◆実施日 2004年2月21日(土)〜22日(日) ◆参加者 市民研究所 上田、菅村、稲葉、高橋、大槻、鳴海 コウノピア 佐田 ◆視察場所 (1)加賀市鴨池観察館(石川県加賀市片野町子2-1 TEL:0761-72-2200/FAX:0761-72-2935) 対応者:チーフレンジャー 田尻浩伸さん ラムサール条約登録地。コハクチョウ、マガン、オオヒシクイ、トモエガモなどの集 団越冬地として保護されている。運営は(財)日本野鳥の会に依託。地元農家の協力 のもと、冬季湛水田の取り組みにも積極的。 (2)東尋坊(福井県坂井郡三国町東尋坊) 地学的興味と、ヒトの観察 (3)越前水仙の里公園(福井県丹生郡越廼村) 「さとこうえん」繋がりの興味と、越前の植生調査 ◆宿泊場所 アパホテル福井片町(福井県福井市順化1丁目16-7)
【プロローグ】 昨年度の視察研修では米子水鳥公園、鳥取の冬季湛水田の水鳥を観察した。今年は石川県加賀市の片野鴨池を視察することで、豊岡盆地を挟んだ西と東の水鳥の越冬状況を知ろうということだった。 片野鴨池はコハクチョウ、マガン、トモエガモの集団越冬地として知られ、カモを狙うオジロワシも見られることから、野鳥班の私や大槻研究員は大いなる期待を持って臨んだ。
参加者は昨年より一人少なくなったが、7人の市民研メンバーが2台の新旧CR−Vに分乗して現地に向かうスタイルは同じ。高橋号に乗ったのは鳴海食糧局長と文化館の佐田研究員。大槻号には三役の皆様方が自然に集まった。 前回のバンガロー泊@オール自炊式と違って、今回の宿はビジネスホテル。鍋釜一式を満載して出発した昨年とは違い、荷台は各自のバッグのみの軽装。鴨池での観察用に、文化館のスコープ3セットがプラスされただけだった。 「祝 農林水産大臣賞受賞」の横断幕の貼られた郷公園駐車場で浜田館長と西川嬢の盛大な見送りを受け、また館長からはペット茶の差し入れを頂き、上田代表の訓示のあと、9時20分福知山に向け出発。天気、晴れ。 【幻の食文化館】 福知山から舞鶴道に入り終点の舞鶴東を目指す。2月の終わりにしては異常に温暖な日で、車の外気温計は19度を示している。そういえば出掛けに、我が家の裏山でウグイスの初音を聞いた。三寒四温の季節を迎え、春はすぐそこまでやって来ている。 舞鶴東ICの案内が出たが、道はさらにまっすぐ伸びている。最近区間延長になったようで、山の上を通した新しい道をどんどん進む。運転を佐田研究員に交代してもらった私は助手席で景色を楽しむ。 眼下の山と山の間から時々若狭の海が見え、我々は着実に目的地に向かっているとを理解する。後続の大槻号では、途中の法面でサルの群を観察したとのことだった。 舞鶴道の終点は小浜西IC。時刻は11時30分になろうとしていた。かなり得をした気分でインター横の駐車場で休憩に入った。予定時刻より少し遅れてFMジャングルのネイチャーナビの電話出演が始まる。 昨年度の研修旅行では車で移動しながら上田代表が携帯電話から出演した。山間部を走行中だったので、いつ圏外になるかヒヤヒヤしながらのオンエアーだったが、今回は3本立ちのパーキングから稲葉事務局長が落ち着いて対応。 マガンの話や、片野鴨池への視察旅行の途上であることなどをDJと話していた。 ここからR27を敦賀に向かう。そろそろ昼飯時で、食糧局長のご指示を待ちながら、どこかに入ることにしていた。小浜市を通過中、交差点に「食文化館」の案内を見た。「文化館つながり」で、ここはぜひ見ておきたいと佐田研究員。 食文化の殿堂なのだろうから、きっと美味い昼飯が食えるだろうと、高橋号の3人の見解が一致。左折3Kmの案内に従ってウィンカーを出した。 【マニアックなR162】 交差点を過ぎてさらに直進すると河口の護岸壁の細い裏道となり、学校の前を通過する頃には道を間違えたことに気づく。道沿いに進んで、先ほどの交差点からの道に合流。右折して原点復帰すれば普通の旅が続くはずだった。 食文化館はきっとこっちだろうと左折したところから、市民研研修旅行の新たな伝説が始まるのであった。 進むにつれ町並みから外れ、この先、食文化館などどこにもあろうはずがないことを悟ったが、後部座席の食糧局長のご指示は「ここまままっすぐ進め」であった。 車に載っていたJAFメイトの付録地図を見ながら、今走っているR162を行けば三方町に出るし、R27と距離は変わらないからまったく心配はいらないとのことだった。
しかし、海岸線に沿って高度を上げて行くこの国道は、ついに一車線の心細い道に変わり、対向車も後続車もいない山道となってうねうねと続いて行くのだった。 何キロか走っては朽ちかけた国道162という道標を見つけて少し安堵するが、果たして我々は敦賀にたどり着くのだろうかという不安が、空腹の腹にのしかかった。 結局、長く細い峠道を越え終わるまでに2台の対向車しか会わなかったが、対向車が来ることをこれほど待ちわびた国道というのも珍しい。 若狭湾の入り組んだ静かな海を窓から眺めつつ、やがて海から離れて人里の風景が戻ったところで「梅の里会館」なる施設を見つけ、駐車場に車を入れて一息つく。 あたりを見渡せば、なるほど、あちこちに梅林が広がり、このあたりが梅の産地であることを知った。「なんだいやぁ、おめーら、ウメといやあ、紀州か三方かというのを知らんのかいや」という鳴海食糧局長のギャグに笑いながら、売店で予定外のお土産を買うことに。
ここからしばらく走った湖岸に「縄文ブラザ」なるレストランを見つけ、ようやく少し遅いランチタイムと相成った。高床式の木造レストランから見る三方湖の景色はのどかで、水鳥が午後の時間を過ごしている。 縄文博物館に隣接したこのレストランでは、縄文時代の食事を意識したメニューを揃えていて、我々のグルメマインドを満たしてくれるものだった。ドライバーを除いて、梅ビールなる地ビールを注文。 見た目は普通だが飲むと梅の酸味が効いていて、これはこれで不味くはない。菅村副代表が、これは発酵に失敗してアルコールが酢に変わりかけているのだと失礼な評をするのだが、まあ、そんな感じのすっぱいビールなのだった。 後味が悪いと、鳴海食糧局長はスーパードライを追加注文して口直ししていた。 私が注文したメインディッシュは「へしこ茶漬け定食」。古代米である赤米や黒米が混じったご飯にサバの「へしこ」がでーんと載っており、これに出汁の効いたお茶を掛けて食べる。 漬物と一緒に梅干も添えられ、まあ古代米は演出としても、地場産の食材をメニューにしているあたりは、豊岡盆地での観光施設の食文化のあり方にヒントを与えてくれるものだった。 食後、隣の地場産直売店では菅村副代表が黒米の稲穂をお土産に買い求めていた。子供たちに古代米を見せてやるのだと、ここでも研究熱心な副代表なのであった。 【片野鴨池】 R27へはすぐに合流でき、ようやく正規のルートを辿ることになる。2台のCR−Vにはカーナビは付いていない。 カーナビで指示された最短ルートを行くだけでは決して出来ない小さな冒険や発見、人間ナビだからこそできる予想外の旅の楽しみを、今回もまた味わった我々なのである。
原発関連の案内板や施設を見ながら、やがて敦賀ICから北陸道に入る。ここからは加賀ICまで一直線。片野鴨池14時30分到着という当初のスケジュールはとうに崩れ、途中のサービスエリで稲葉事務局長が観察館に到着が遅れることを連絡。 15時30分着予定と、ここで修正アナウンスされた。 いくつかのトンネルをくぐり、山から下ったところが福井平野。田んぼの上を直線高架で突っ切るハイウェイ。抱いていた福井のイメージとは違う、広々とした風景だった。 平野の背後には雪を頂いた1600m級の山脈が連なり、小さな豊岡盆地で暮らす我々の生活空間には無いダイナミックな自然感を抱いた。 現在コウノトリの郷公園で暮らす「武生」と命名された老齢のコウノトリ、1970年に武生市に飛来した野生種だ。そんな話をしながら福井市を過ぎるといよいよ石川県、県境に近い加賀ICで下りた。 加賀ICからの道順はあらかじめ予習もしていたし、案内板も適切に配置してあり、迷うことなく10分足らずで到着、15時30分だった。スコープを抱えて観察館に向かう。 入り口の看板にはこの池が1993年にラムサール条約の登録地に指定されたことや、そこに至るまでの池の史が書いてあった。観察館に入ると、西に開いた全面ガラス窓を隔てて、10haの思いのほか小さな池が広がっていた。 「屏風ヶ浦の打ちっぱなしの池と、たいしてかわらんがな」と食糧局長が言ったが、まさにそんなスケールの池なのである。その小さな池から、マガンの一群が一斉に飛び立つところを見た。 レンジャーの一人が「今日は餌場から早めに戻って来た群がいて、それが再び餌場に向かったところです」と解説してくれた。
水鳥観察は後でゆっくりするとして、レクチャールームでレンジャーの田尻さんからパワーポイントによるプレゼンテーションを受けた。 鴨池の水鳥の飛来数が、1980年当時の3万羽から1/10に減少してしまった現状や、1996年から始められた冬季湛水田の調査報告など、興味深い内容であった。 冬季湛水田での農家への経済効果も客観評価し、そこで収穫された米を「加賀のカモ米 ともえ」としてブランド化し、付加価値をつけてネット販売等で完売しているとのこと。 まだ一軒の農家としかこの契約が出来ていないが、これをさらに拡大しながら農業と野鳥保護を両立させてゆきたいとの展望を熱く語って頂いた。 祥雲寺地区の農家とコウノトリ市民研究所の近い将来の経済的コラボレーションを、それぞれの研究員が胸に抱いたことだろう。エコロジーはエコノミーとの両立でもって語られる時代なのだから。 レクチャー後は水鳥観察に没頭。マガモが支配的で、その中にハシビロガモが時々見つかる。私のスコープではとうとう見つけられなかったが、レンジャーが入れてくれたスコープの視野には、トモエガモのペアの姿があった。 池の一番奥でしきりに潜っているのはミコアイサのペア。それぞれの水鳥はすでにペアを形成していて、北の繁殖地での準備段階に入っている。 観察館近くで群れているのはコハクチョウ。その間をうろうろしているオオバン。長い間スコープを覗いて目が非常に疲れた。
この土曜日、たまたま「カモの飛び立ち観察会」の日であり、通常17時までの開館を延長して日没後の水鳥の観察ができた。部屋の明かりが消され、向かいの夕焼け空からマガンの大群が隊列を組んで帰還する様は圧巻だった。 いくつかの大群が時間を置いて鴨池に帰ってくる。森の中の小さな池なので、大型の水鳥は池の周囲を旋回しながら高度を下げ着水する。 コハクチョウやカワウの群も次々に帰ってきて、外の音をマイクでモニタしたスピーカからは、賑やかな水鳥たちの鳴き交わしの声が観察館に響いていた。 マガンやコハクチョウが帰還し終わると、今度はカモたちが次々に餌場に向かって飛び立つ。レンジャーの話では、この時期の飛び立ちはたいがいオスメスのペアで行われるという。 夜行性のカモと昼行性のマガン・コハクチョウが、ねぐらとしての鴨池と餌場としての周辺の水田を、交代で利用しあっている様子がよく分かった。 ここの水鳥たちの本格的な北帰行も目前に迫り、通年運営の観察館も春以降は静かな季節を過ごすことになる。 ここ数日間連続して出ているオジロワシや、我々が来る少し前まで目の前で観察されたというカリガネを見ることが出来なかったのはつくづく残念ではあったが、お世話いただいたレンジャーのお二人に感謝しながら、18時30分、鴨池観察館を後にした。 【福井の魔界な夜】 事務局長がナビを務める大槻号に先導され、北陸道を戻る。前回同様、大槻研究員の先導運転には目を見張るものがある。安全運転宣言の後続車のことはまったく眼中に無いらしく、時速120キロオーバーで追い越し車線を爆走してゆく。 数台前に大槻車のテールを何とか捕捉しながら、福井北ICでレーンを外れたことを確認。ようやく料金所で追いついた。 福井市内で少し迷いながらも、一旦JR福井駅前に原点を求め、もたつく姫路ナンバーに後続の地元車にクラクションで煽られつつ、右車線から急に左レーンに乗り換えるトリッキーなテクニックに追従した末、ついに我々は目的のAPAホテルの前に到着した。
稲葉事務局長がフロントでパーキングの場所を確認し、ここが福井市一番の歓楽街のど真ん中に位置することを感じながら、怪しげな契約駐車場へと車を入れた。チェックインのあとすぐに全員で街に繰り出す。 夜の街はいよいよこれから始まろうとしており、鳴海食糧局長のリード無くして、我々のこれからの行動はまったくあり得ないという雰囲気の漂う中、たどり着いた路地裏の一軒の大衆割烹の看板。 こじんまりとした「間海」という名の店は、一階のカウンター席はサラリーマン風がすでに陣取っており、我々は2階の座敷に通された。 魔界を連想しながら、渡されたメニューを見る。5とか30とか100とかの数字が品書きの下についている。「松葉ガニが100円きゃーな」と食糧局長が若いねーちゃん店員に聞く。 ねーちゃんから数字は100倍して読んでくれと教えられ、この時点で松葉ガニは今晩の選択肢からあっさり消えた。ねーちゃん店員の他に、着物姿のおばちゃん仲居さん風もいたが、我々の興味はもっぱらねーちゃんの方であった。 顔の作りは良いとは言えないが、なかなか味わい深い顔立ちであり、やはり若いというのはつくづくエエことやなあと、彼女の仕草を見つめる親爺連なのであった。 ビールが運ばれ乾杯。次々にオーダーが飛び、ねーちゃんが来るたびに追加が入る。食糧局長が「まあ、それはエエしきゃあ、こけぇ来て座んねぇな」と、まったく勘違いな発言を試みるも、彼女は粛々と客の注文をこなし続けるばかりであった。 地酒の「福千歳」と「一本義」を冷で飲み比べ。福千歳の方がまろやかで私の口には合ったが、のん兵衛研究員には一本義のスッキリ辛口淡麗味が人気となった。 水ガニを食べながら、今年初めてだと感涙にむせぶ菅村副代表。てっさが売り切れたことに無念さをこらえ切れない佐田研究員、自分が注文したフグの白子を回し食いされて、「ワシはまだ食っとれへんだぁで」と怒る鳴海食糧局長。 バレンタインチョコの話題から誘引され、大槻研究員の人生問題を真剣に討論しあう面々。盛り上がり中に私のケータイに掛かってきた某紙のA女性記者に敏感に反応する上田代表。 昨年のスレンダーでアクセスな盛り上がりとは一味違う、魔界な世界が、やはりここで醸し出されてゆくのであるが、個々の話題についてはこれ以上触れる必要もない。 まあ、魔界な夜の結論としては、我々は実によいメンバーを持ったといういつもの確信と、農と食と科学をいかにコラボレートしてゆくのかという、実に建設的な話し合いが続いたことだけは記しておくとしよう。 食うものも無くなり、酒も空になったところで、鳴海食糧局長が階下に一人消えた。ほどなく上がってきて、ここはお開きにしようということになった。 我々が平らげた品書きの数字を足して100倍すると、こりゃ8万円は取られるでぇと、上田代表がボソっという。あの鴨南蛮が50は許せん、ワシが文句言っちゃると細い肩をいからせたが、レジを打つねーちゃんの合計数字を見て一同「安ぅ〜!」と声が出た。 食糧局長がすかさず制止し「あはぁか、オメーら、安い、言ったらアカンだがな」「せっかくワシが交渉して、安ぅさせたんだしきゃ」と耳打ちし、ねーちゃんにさらに端数の8600円をまけろと言っている。 8600円が端数だという食糧局長のダイナミックな金銭感覚は、他の研究員のこれからの価格交渉のよいお手本として意識すべきことと教えられた。 着物のおばちゃん仲居さんに見送られ、おそらくもう二度と全員で来ることは無いであろうこの店を後にした。何かの用で福井市に来たときは、でも、この店で食べよう、そう思わせる質の高い、良心的な大衆割烹ではあった。 あきれた客が帰ってせいせいしたと思ったのかどうかは知らないが、ねーちゃんが最後に見送ってくれなかったことが激しく心残りであった。
呼び込みのにーちゃんや、超ミニで立つ街角のねーちゃんの誘惑を毅然とした団体行動でかわしつつ、我々はわき目もふらずにホテルに戻り、1階の中華レストランで思い思いの仕上げをした。 ここで解散となりそれぞれの部屋に戻ったのであるが、その後の各人の研究活動については知らない。 宿泊したAPAホテルというのは、福井出身の女性社長が全国にチェーンを展開中のビジネスホテルで、フロントや部屋の案内書に載っているド派手なコスチュームの女性社長の顔写真は、いつかTVで見たことがあるのを思い出した。 寝るだけのビジネスホテルから、付加価値付きのビジネスホテルへと、常識を覆す営業戦略で躍進中の企業家。福井もなかなか面白い。五木ひろしだけではないなあと、認識を新たにするのであった。
【明るい自殺名所】 朝の目覚めは快調。部屋から見下ろす歓楽街は、そう、鴨池のカモのように朝日の中で静かに眠りに落ちていた。崩れるといわれていた天気も、午前中はまったく問題のない青空だった。 昨晩仕上げをした1階の中華レストランは、バイキング形式の朝食会場に変わっていて、普段我が家での朝食では考えられない量を食べてしまうのが不思議。 メンバーと相席しながら、今日の予定を再確認する。まず東尋坊に行く、そして時間があったら次に勝山の恐竜博物館に行って、という刹那的な行動予定がその場で決められた。 チェックアウトシステムも画期的で、わざわざフロントに行かなくてもよい。追加料金が発生しない客は、ルームキーを専用ボックスに投函しておしまいである。実によい省力システムだ。 駐車場に向かいながら、一名メンバーが足りないことを知った。佐田研究員が急用のため早朝に一人帰ったのだという。 旅の後半を一緒出来なかったのは残念であるが、まあそれぞれの事情だから仕方ない。大槻号@幹部御用達車から菅村副代表を我が車に迎え、一路東尋坊に向け出発。
昨日の鳴海食糧局長とは違う科学的なナビゲーションにより、先導の私は確実に目的地に向かっていた。九頭竜川の河口を渡る。まさに大河といった川は河川敷に水田が作られていた。今は雪解け水を湛えて自然の湛水田となっている。 こなんな雄大な川と比べても、円山川の生き物の濃度が濃いのは不思議だと、円山川の自然を知り尽くした菅村副代表が言う。昨日の小さな鴨池にあれだけ多くの水鳥が集まるように、小さな豊岡盆地に多くの生き物たちを育むだけの何かがあるのだ。 橋を渡りきって三国の市街地の手前を海に向かう。ウミネコがあちこちで羽を休めている。坂を登りきると東尋坊。タワーの駐車場に入るが、あっちの土産物屋の無料駐車場に入れたら500円得すると係員のおっちゃんが言う。 言われるがままに土産物屋に向かうと、店のおばちゃんが駐車場に誘導してくれた。その代わりここで買い物してね、ということである。後続の大槻号はそのままタワーの下に駐車した。 よく分からないシステムであるが、共存共栄の精神で駐車場のおっちゃんは気分で車を誘導しているようであった。 土産物屋の路地を抜けると、真正面に水平線が大きく弧を描いて広がっていた。おお、ここが有名な東尋坊か。狭い入り江が幾重にも繋がった断崖であるが、自殺の名所というにはあまりに明るい風景だった。 荒波の打ち寄せる断崖、雪まじりの北風にコートの襟を立て、断崖の先端に立ち尽くすという演歌の世界がそこにあると思っていた妄想は、チープな和製ポップスのBGMと、観光船の呼び込みの拡声器にかき消された。
観光客が絶壁をのぞきこんではキャーキャー言い、携帯電話のカメラを向けて撮影している風景に暗さは無い。それぞれが散策を終え、案内板のところで記念撮影をしようということになった。 上田代表がいない。そうか…昨夜はあんなにはしゃいでいたけど、人に言えない重い苦しみを抱えての旅だったのか… みんなで捜索に行こうと思った矢先、下の方からひょっこり上田代表が戻って来た。あっちの方を歩いて行ったら、みんないないし、そこらじゅうに「はやまるな」とか「命を粗末にするな」とかの看板が立っていて、なんか暗い気分になって帰ってきたと告白してくれた。 どうやら、最期の目的を果たそうとする人を引き寄せるダークサイドも、少し離れるとあるようだった。 土産物屋を冷やかしながら車に戻る。菅村副代表が、オリジナルラベルを作ってくれる地酒を買ったと喜んでいたところに酒屋が現れた。 ここの親爺、菅村副代表の酒の包みを見て、「こんな酒、そこらで千円で売っとる。酒は酒屋で買わないとだめに決まっている。ワシは酒屋だ」みたいな言葉を浴びせた。 傷心した副代表はそのまま消えたが、地酒に興味のある鳴海食糧局長と私は、朝っぱらから酒くさい息で話しかける酒屋の親爺から、結局「一本義」の辛口を買うことになってしまった。 帰ってから妻と二人で飲んでみて大変美味しかったので、この親爺の副代表に対する失礼はまあ許してあげてもいい。 無料で駐車させてもらった店からは、食糧局長が土産菓子を買い求めたので、まあ義理は果たした。 タワーの駐車場を出ようとすると、来たときの係りのおやっさんが寄ってきて、もう帰るのか、じゃあオマケしてあげようと100円玉をくれようとする。 正直モノの私は、あっちに無料で止めさせてもらったことを告げ、善意の100円玉を丁重に辞退したのであった。 【越前海岸から"めばえ"る】
11時も過ぎ、恐竜博物館行きはキャンセルとなった。このまま海岸線を下って敦賀まで行こうという、時間感覚の麻痺した我々先導車はR305を南下。 右手には常に越前の海があり、行楽の車も多いコースだった。越前朝倉氏というのは、実は八鹿の朝倉の出身なのだという、ありがたい菅村副代表の歴史講釈に感心しながら、単調ではあるが海の景色を楽しみながら信号の殆ど無い国道をひた走った。 やがて「水仙の里公園」の案内があり、「サトコウエン」とか「ブンカカン」という響きに過敏な我々はすかさずウィンカーを左に出して山道を上って行った。 そこは「越前水仙の里公園」と呼ばれる一画で、越廼(こしの)村が運営する村おこし施設だった。水仙は道中の斜面にいくつも咲いていて、まあ花自体も特にどうということはないのだけど、ハコ物見学も我々の興味の範疇なのである。 水仙ミュージアム、越廼ふるさと資料館、水仙ドームという3施設を回って一人300円の入館料。施設の周囲には水仙畑が手入れしてあり、各施設の展示も金が掛かっていた。 来場者もそこそこいて、かつては過疎の村の一つであったであろう場所に、人を寄せることはまずは大切な第一歩だ。 しかし、リピーターを得たり、そこで都度何かを学習したりという前向きな方向にハコ物施設が行かないのは、やはり運営リソースの問題もあるけれど、安易な企画でハコ物を建設してしまう側に大きな問題を含んでいる。
またまたランチタイムが遅れてしまった。越前岬のトンネルを抜け、玉川温泉を越えた漁村で菅村ナビから左折の指令が飛ぶ。このまま東にまっすぐ向かえば鯖江ICに到達するという読みであった。R417の道標でそれを確信。 道すがら、鳴海食糧局長の昼食場所指令を待つが、食糧局長のお眼鏡に適う店が現れない。鯖江市内に入り、北陸道の道標に従ってバイパスを右折したところで炭火焼肉の看板を発見。局長の許可なしに強引に駐車場に車を入れた。 我々の他に車は1台も止まっておらず、入り口の暖簾の崩壊状況を目の当たりにした我々は、調査に入った食糧局長の判定結果を待った。「おい、営業しとるってや。ここで食わぁ」との指令で店に入った。 案の定、広い店内には誰一人客はおらず、親爺が一人手持ち無沙汰にしていた。中の作りはなかなか洒落ていて、古い民家調の雰囲気が良かった。 そのいい雰囲気をぶち壊すチープな和製ポップスBGMのミスマッチがたまらない。注文を聞くと親爺は炭火を起こしに奥に消えた。結構待たされたが、誰も文句を言うものはいなかった。 出てくるものへの期待感と不安感の交雑する時間。「本家めばえ」の暖簾と「発展」の額を見上げつつ、我々は辛抱強く食材の登場を待った。
やがて赤々と燃える七輪が登場し、五徳の上に熱で一部溶解した薄い鉄板が置かれていた。この上に焼き網を載せるのだろうと誰もが思った。 思いも寄らぬ団体客が入ってきて困ったという感じの昼下がりの本格炭火焼肉屋の時間が流れた後、ようやく親爺はトウバンジャンを盛った特製タレを我々に並べさせ、次に肉皿を持ってきては我々に配膳させた。 その過程は客である我々にとって違和感もなく自然に行われたのであるが、なんだかそんな感じを持たせたのは親爺の人徳なのかも知れない。 ここで焼くの?とおそるおそる聞くと、そうだという。一辺が溶解した正方形丸穴つき薄鉄板の上に次々に肉が載せられ、それらは高カロリーの炭火にあぶられあっという間にころあいに焼きあがった。 食べている間に次の肉が焼きあがるという流れ作業の中、我々は黙々と肉を口に運んだ。美味しい肉だったし、なによりもタレの味が良かった。当初の不安を持つものはもう誰もいなかった。 ご飯は今炊いているところだと、訳のわからない客あしらいをする親爺であったが、おそらく昨夜の残り飯をジャーで保温しました状態の臭い飯ではあったが、私以下3名がその飯を焼肉の味で誤魔化しながら食べた。
明朗会計であったことにも我々は満足し、親爺に「美味しかったよ」と感想を述べた。「あんたら、どこから来られた」と話し掛けてきたので兵庫県だと答えた。 暖簾があんなんだったので、我々は不安を隠しきれないまま店に入ったことも素直に告げた。親爺は「いやあ、お客さんからよく言われとってね。今、あつらえている最中なんよ」と照れ笑いした。 昨年度の研修旅行の帰途のランチは東伯牛ステーキであった。肉で締めるという伝統は、これから先も守られて行くものと私は思う。「わしゃ、ステーキより焼肉の方が良かっただ」と、追加のホルモンを2杯目の中ジョッキと一緒に平らげた鳴海食糧局長、 インターに乗る寸前の危険な賭けに勝った満足感と満腹感に満ちたまま、いつしか後部座席で安らかないびきを立てているのであった。 【エピローグ】 鯖江ICからの帰路はまったく順調に進んだ。敦賀ICからR27を西進し、往路でマニアックなR162に入り込んだ小浜の交差点を見送り、小浜西ICから舞鶴道へ。料金ゲートを過ぎてしばらくして、高速道を横断する小さな動物を前方に確認。 左を見るとサルがいた。さっきのは子ザルが道路を横断したのだった。彼らの生息域を高速道が分断してしまったのだろう。彼らが車にはねられて命を落とす場面を想像しながら、そこを利用している自分たちの身上を思った。つくづく、ヒトという生き物は罪深い。
高速道は強い風のために50キロ制限が出ていた。福知山に向かうにつれ、風雨は激しさを増して行った。鳴海食糧局長が文化館に電話を入れ、帰着は18時半ごろになることを報告。登尾トンネルを抜けるともう帰ってきた気分。 風雨の強まるなか、郷公園駐車場に戻った。この嵐の中、直売所で傘を持って立っている人がいた。浜田館長だった。ゲートは開けてあり、中に入るよう誘導してくれた。さらに感激したのは、足元を照らすためのサーチライトが玄関で煌々と輝いていたことだった。 嵐の中を、我々の帰還をこのように待っていてくれた館長に、我々は旅の最後の感動をもらった。 19時過ぎ、上田代表の解散の言葉を受けたあと、館長に見送られて我が家へと向かった。数々の思い出は、つたない私の紀行文では書き切れるものではない。 後日、今回の旅のほうぼうで我々の口をついて出た市民研の今後のあり方について、菅村副代表が以下のようにまとめてくた。副代表が最近薦めてくれた書籍に「会議力」というのがある。 会議というのは、何気ない普段の会話の中でこそ実のある方向性が導き出せるという著者のひとつの提言は、今回の旅でそのまま実践できたように思う。
1.漁協とのコラボレーション 今度はロシアに野鳥の繁殖状況を見に行こう、いやフィリピンでサシバの越冬を見よう、鹿児島の出水でツルを見よう、はやくも次の視察へ思いを馳せながら、加賀・越前視察研修旅行を閉じるとしよう。
完
(文責:高橋 信)
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