ながぐつ観察記(毎日新聞) 一覧

ニホンヒキガエル(ヒキガエル科)


命がけの産卵行動
 
 但馬地方では、ニホンヒキガエルとアズマヒキガエルが生息している。3月上旬、僕はある山間地でニホンヒキガエルの大規模な産卵地を発見した。それは、まるで図鑑の写真をそのまま切り取ったような、とにかくものすごい光景だった。
 標高約400mの山間に作られたコンクリートの小さな古い池。そこには、ヒキガエル独特の数珠状の卵塊が水面を埋め尽くす程に産み付けられていた。それだけでも大きな成果だったが、驚くべきは集まった成体の数だった。
 池の中では、幾つかの成体の群れがおしくらまんじゅうの状態になっている。オスはメスの背中に抱きつこうと必死な様子で、目の前に背中があれば、とにかくオスメス構わず飛びついている。抱きつかれたオスの方は迷惑そうにキュウキュウと鳴いて、「おいおい、俺はオスだ。何するんだ、離してくれ。」とこれまた必死だ。
 何とも滑稽な仕草に見えるが、いやいや彼らはこれでも命がけなのだ。それにしても、ここには一体何匹いるのだろうか?目視できる範囲で数えてみたら、何と百匹を超えているではないか!僕はそれから何時間も彼らの産卵行動を観察した。
 しばらくして、遠くからシャリ、シャリ、という落ち葉の音が聞こえてくるのに気付いた。その音は次第に近づいてくる。何とヒキガエルの足音だった。たくましい体格をしたその成体は、落ち葉のじゅうたんの上を、前足と後足をいっぱいに伸ばしながら力強く真っ直ぐに池を目指して歩いている。目の前のカメラも何のその、悠々と通り過ぎていくではないか。
 その個体は僕に背中を見せながら、池の中に飛び込んでいった。彼らはどうやって池の場所を知り、どこからやってくるのだろう?そんな単純で難解な疑問を僕は突きつけられた。
 それから4日後、そこにはもう彼らの姿は無く、ただ卵塊が幾重にもなって広がっているだけだった。彼らは一体どこに消えてしまったのだろう?彼らの不思議な生態に、僕はこれからも翻弄され続けるに違いない。
写真・文 NPO法人コウノトリ市民研究所主任研究員 竹田正義
(2007年5月26日掲載)
※本稿をもって毎日新聞但馬版「ながぐつ観察記」の連載を終了致しました。興味を持ってご愛読いただいた皆様、ありがとうございました。


タマシギ

六方田んぼの隠れたアイドル

タマシギ(チドリ目タマシギ科)
 雨の日曜日、六方田んぼ百合地地区の湛水田をまわってみる。今日は工事が休みでダンプも通らない。近くの人工巣塔の営巣コウノトリ見物の人も来ない。そんな静かな雨の朝、安心しきって湛水田に顔を出したのは警戒心の強いタマシギ。しかも色の綺麗な雌が2羽。
 タマシギは他の鳥の雄と雌の関係が逆転したユニークな生態を持つ。雌の方が派手な色をしていて、一夫多妻ならぬ一妻多夫の繁殖を行う。雌はペアとなった雄との卵を産んだ後は、抱卵から先の一切の子育てを父親に任せてしまう。そしてまた別の雄を求めて新しいペアを作る。子育てを分散させることで、水田環境で子孫を確実に残そうという戦略だ。
 タマシギは姿もユニーク。黄褐色の雄もそれなりだが、やはり雌の羽根模様が美しい。茶色の首、胸には黒いV字の模様、それに沿って肩からの白いたすきがお腹の白とつながる。先にゆくほど赤みが増すくちばしがおしゃれだ。そしてタマシギ最大の特徴が大きな目と、それを隈取る白い勾玉模様。半夜行性のシギだから大きな目をしている。昼間は白い隈取りが外敵への威嚇効果になっていると考えられる。
 観察中のタマシギに突然緊張が走った。次の瞬間、黒い影が地上すれすれを高速で飛んだ。ハヤブサだった。3度タマシギめがけて攻撃を仕掛けたが、くぼみにうまく身を隠したタマシギは難を逃れた。どうやらタマシギの目模様もハヤブサの前では効力がなさそうだった。 
 健全な水田環境があって初めて、タマシギが暮らしてゆける。タニシやカワニナ、ミミズ、バッタなどを食べる。田んぼの健全性を知る指標生物として、タマシギは隠れたアイドルと言ってよい。コウノトリを育む田んぼは、他のたくさんの生き物を育むことに他ならないのである。
文と写真 NPO法人コウノトリ市民研究所・高橋 信
※2007年5月13日(日)掲載


コシアブラ


コシアブラ
セリ目 ウコギ科 ウコギ属
 コシアブラという山菜、タラノメよりも美味しいといろんなところに書いてある。ずっと食べてみたかったが、よく分からない。コシアブラなる山菜がとてもおいしいらしいと知ってから6年が経過した平成17年4月、森林インストラターのSさんに実物を教えてもらった。しかし時期が早くまだ硬い木の芽状態である。どこにでもあるような芽で見分けられる自信はなかったが、匂いだけはしっかり覚えておこうと手で揉んで嗅いでおいた。
 別れたその日のうちに、とある里山公園へ行ってみると、偶然にも先ほど教えてもらったようなものに出くわした。平成16年10月の台風23号災害のために木が倒れて山道をふさいでいる。だから通常手の届かない大木の新芽が手に届く場所にあったのだ。1週間後、再び行ってみると、小さかった芽が大きく膨らみ、ちょうど採りごろで山菜図鑑の写真とそっくりのコシアブラである。さすがに間違いようがない。こうして僕は、念願の山菜を手に入れたのである。
味は濃厚でこくがある。タラノメと同じウコギ科であるがタラノメよりも味が濃い。つまり野趣が強いというか、癖が強い。シュンギクに近いものがある。タラノメよりもおいしいというのはうそではないと思う。てんぷらがいいと書いてあるが、茹でてマヨネーズやドレッシングであえて食する方がうまいと思う。
 一年後つまり昨年の春もコシアブラの倒木はまだ生きていて、再び大量収穫ができた。しかし今年の春はついに枯死してしまっていて、新芽を出してはいなかった。
 一度覚えた山菜は良く目に付くようになる。里山公園をうろつくと結構な収穫がある。 豊岡の里山では4月の中下旬が採りごろ。収穫は、木を痛めないように手の届く範囲の半分ほどにしておきたい。
NPO法人 コウノトリ市民研究所
主任研究員 稲葉一明
2007,4,29 掲載


ジョウビタキ

北へ帰る里の冬鳥

ジョウビタキ(スズメ目ツグミ科)
 冬の人里で見られる鳥の中で、ジョウビタキはもっとも親しまれている冬鳥の一つだ。名は知らずとも、きっとどこかでその姿や声を聞いているはず。
 秋が深まるといち早く日本に渡ってきて、人家や人工物にも寄ってくる。胸から腹にかけて美しい橙色、黒い翼にワンポイントの白斑が目立つのがオス。尾羽を小刻みに震わせて、「ヒッヒッヒッ」とよく通る声で鳴く。
 ジョウビタキの名はオスの頭に由来している。銀色の頭を白髪に見立て、お爺さんの意味である「尉」(じょう)を充てた。近所のお節介やきのお爺さんのような、いつもそばにいて憎めない存在と言えば、確かにそんな雰囲気を持った鳥かもしれない。
 メスはオスとうって変わって地味な褐色をしているが、翼の白斑はオスと同じようにある。オスが派手な分メスの存在感は薄いが、野鳥ファンにはメスの方が人気のようだ。オスでは黒い顔の中に埋もれてしまうクリッとした目が、メスのチャームポイントになっている。
 越冬中、ジョウビタキは縄張りを持つ。縄張りの領域にはいつも同じ個体が飛び回っては鳴き声を出し、ほかのジョウビタキを寄せつけないようにしている。だから冬の間じゅう、この鳥を同じ場所で見かけることになるのだ。
 ジョウビタキは春が近づくと海に出る。大概の冬鳥は同じように一旦は海を目指す。海にはそうして集まった仲間がたくさんいて、北の繁殖へと海沿いに連れ立って帰ってゆくのである。ジョウビタキがいつの間にか里からいなくなるころ、野山では南から戻ってきた夏鳥たちの歌声が聞こえ始める。
文と写真 NPO法人コウノトリ市民研究所・高橋 信
※2007年4月15日(日)掲載


カンサイタンポポ:但馬の端っこに生育

カンサイタンポポ キク科


 カンサイタンポポは日本在来の小型のタンポポで、関西以西に普通に生育している。私は京都市で植物の勉強を始めたのだが、京都市にはカンサイタンポポが至る所にあった。だからカンサイタンポポが特別なタンポポであるという思いは全くなかった。
 ところが但馬に帰ってきてタンポポを調べ始めて驚いた。家の回りにカンサイタンポポは一株もない。ほとんど全てがセイヨウタンポポで、わずかにアカミタンポポが見られた。どちらも外来種である。範囲を広げて日高町、旧豊岡市を見て回ったがカンサイタンポポはない。
 やがて、帰化種とは思えないタンポポを見つけたが、そのタンポポは大きなタンポポで、どう考えてもカンサイタンポポではありえない。ひょっとすると但馬にはカンサイタンポポはないのではと思っているうちに竹野海岸でカンサイタンポポを見つけた。それから海岸沿いに調べていくと、点々と見つかった。田結、気比、瀬戸、田久日、宇日、竹野、切浜と海のすぐ近くに大量に生育していた。私の調査では竹野町がカンサイタンポポの西限である。また、海岸線から1kmも内陸に入るとカンサイタンポポは姿を消す。城崎町で数カ所見つけたのが唯一の例外だった。
 海岸沿い以外はどうなのだろうか? 本当にないのだろうか? 山東町から夜久野峠、但東町から小坂峠を越えて京都府に入ると、但東町から登尾トンネルを抜けて京都府に入ると、道ばたにあるのはほとんど全てカンサイタンポポである。山の向こう側にだけカンサイタンポポがあるのはおかしいと思い、但東町で調べてみた。登尾峠、小坂峠の入り口付近を中心にカンサイタンポポを見つけることができた。高橋小学校あたりが境目になっている。同じように山東町、和田山町、生野町で旧国境を調べてみた。それぞれ数カ所でカンサイタンポポを見つけることができた。
 カンサイタンポポは但馬の端っこにへばりつくようにして生育している。そして但馬の中央にはヤマザトタンポポという別の在来タンポポが生育している。そんなことがわかってきた。しかしそれがどんな意味を持つのかはまだわからない。40年ほど前に日高町にカンサイタンポポが生育していたのは上坂規知郎氏の採られた植物標本の存在から確実である。40年間に何が起きたのか興味は尽きない。
追記
 「タンポポ調査2005」では、浜坂町の海岸近くでカンサイタンポポが発見されている。私はその場所に行ってかなりしつこく調べてみた。ヤマザトタンポポはたくさん生育していた。しかしついにカンサイタンポポは見つからなかった。
 「タンポポ調査2005」は、調査の精度を高めるために調査者は頭花を事務局に送るという方式を取っており、送られてきたタンポポは、花粉を顕微鏡で観察されることになっている。カンサイタンポポは、2倍体なので花粉の大きさが揃っている。浜坂町のタンポポの花粉はどう見ても2倍体のものだったそうだ。また探しに行かないといけないだろう。
 タンポポ調査2005では、氷ノ山へ向かう道なのだろう標高1000mくらいの所からもカンサイタンポポが報告されている。本来、タンポポが生育するはずのない場所である。どんな経路かは不明だが、カンサイタンポポの種子が移動したのは間違いないだろう。


ニホンアカガエル(アカガエル科)

命をかけた結晶

 今年も生きものたちが目覚める季節になってきた。
 まだ寒さが残る2月、僕はいつもよく行く田んぼに向かった。ニホンアカガエルの産卵状況を調べるためだ。このカエルはどの生きものよりも早く水辺にやってきて、里山の田んぼや水路の浅い水たまりに産卵する。卵塊はこぶし大くらいの球状をしていて、但馬の平地では、例年2月中旬から3月にかけて見ることができる。
 実はここには毎年この時期観察に来るものの、卵塊数をきちんと数えたことがなかった。僕は畦を歩いてその数を調べてみた。すると、何とそこには百を超える卵塊があったのだ。ここは冬でも湧水が流れ込む湿田地帯。僕は改めてその貴重さを再認識した。
 これらの卵は、おそらく数日前の暖かい雨の後にいっせいに産み出されたものだろう。また卵の発生状態から、暖冬のせいか、例年より約1ヶ月も早い1月中旬頃には産卵が始まっていたことも分かった。「もう春なの?」カエルたちはきっとそう言って目覚めたのだろう。
 その日から数日後、僕は播磨の湿地で驚くべき光景を目の当たりにすることになる。それは、春一番の暖かい雨が降った夜の出来事だった。
 「キョキョキョキョ…」。辺りは大合唱に包まれ、メスを待ち構えるオスが続々と姿を現し始めた。やがて、そこに1匹のメスが現れたのである。するとその瞬間に、約10匹ものオスがいっせいにメスの背中に飛び乗り始めたではないか。もみくちゃの状態は約1時間も続いた。1匹のメスをめぐるオスの攻防。結局このメスは産卵できずに草むらに消えていったが、初めて見るニホンアカガエルの思わぬ行動に、僕は興奮を抑えきれなかった。産卵は彼らにとってまさに命がけということを思い知らされたのである。
 但馬の湿田で見たたくさんの卵塊も、そんな彼らの命をかけた営みの結晶なのだ。たくさんの命を宿した卵のカプセルは、やがてオタマジャクシとなって田んぼを賑わす。次はどんな感動を僕たちに見せてくれるのだろう。
文と写真 NPO法人コウノトリ市民研究所 
主任研究員 竹田正義
(2007年3月11日掲載)


メジロ

ウグイスと間違わないで

メジロ(スズメ目メジロ科)
 メジロは里の鳥として古くから親しまれてきた。目が白いからメジロ。直感的である。メジロにまつわるエピソードの中で、ウグイスとの混同は今でも続いていて、いまさらなところもある。鴬色といえば深い緑色を思い浮かべるが、実際のウグイスの羽根色は地味な茶褐色である。鴬色と呼ばれる緑は、実はメジロの羽根色とよく一致する。
 花札に「梅に鴬」がある。あれがウグイスだと思っている人が多い。改めて見て欲しいのだが、描かれているのは何とも不思議な鳥である。背中は緑で、顔から下が黄色、目は赤である。こんな鳥は日本にはいない。ましてや全身褐色のウグイスとは似ても似つかない。絵柄だからという視点で見ても、ウグイスとはほど遠い。この鳥はきっとメジロを描いたものだ。目が白いという一番の特徴がないが、背中の緑はメジロと一致する。
 そもそも、ウグイスが梅の木に止まることはまずない。冬のウグイスは笹藪の中に身を潜めて地面を徘徊している。一方のメジロは、花の蜜が大好物。真冬に咲くツバキやサザンカに飛来しては、花にくちばしを突っ込んで蜜を吸う。梅が咲けば梅の花にも寄ってくるのがメジロである。
 メジロは冬の花から蜜を頂くかわりに、虫のいないこの季節の大切な花粉媒介者として役立っている。ウグイスとともに身近な鳥ゆえの混同が続いているが、庭木にもよくやってくるメジロの益鳥としての一面を知ってみるのも面白い。鴬色をした目の白い小鳥を見かけたら、今度は間違えずにメジロと呼んでやってほしい。メジロは決して「ホーホケキョ」とは鳴かないのである。
文と写真 NPO法人コウノトリ市民研究所・高橋 信
※2007年2月25日(日)掲載


田んぼを食べる鳥


田んぼを食べる鳥
コハクチョウ  カモ目カモ科コブハクチョウ属
 豊岡盆地で2羽のコハクチョウが越冬している。コウノトリの野生復帰に取り組むこの地域では「コウノトリ育む農法」として、冬場にも水を張る「冬季湛水水田」が広がりつつある。コウノトリ以外の水鳥たちにも歓迎されているようで、これまでは羽休めに豊岡盆地へ立ち寄る程度だったコハクチョウが、昨シーズンより越冬地として居座るものが出てきた。これは大きな変化であろう。
 さて、このコハクチョウ、河谷地区でコウノトリ野生復帰に取り組んでおられる岡 治さんのブログから、「やっかいな水生雑草のクログワイが一番繁茂している田んぼを、過日1月20日トラクタでかき混ぜて以来、コハクチョウ2羽が住み着いて、終日クログワイの球根を食べてくれている模様。」との情報を得た。(http://pub.ne.jp/kounotori/「六方たんぼのコウノトリ」で検索可能)
 早速現地確認に赴いた。確かにコハクチョウは田んぼの泥の中に長い首のほとんどを突っ込んで、なにやら探し出し、引っ張り出すようにして食べている。よほど美味しいものなのだろうか、泥の中深く、もしかしたら30センチぐらい入っているかもしれない。トラクターで代掻きをしたあとだからこんなことが出来るわけであるし、そんな深いところにある美味しいものというのは、クログワイの球根である可能性は十分にある。もし、コハクチョウがクログワイの球根を退治してくれるとしたら、この厄介な難防除雑草を無農薬でやっつける新たな農法になる可能性もある。
 コハクチョウが田んぼに食らい付いている上空を4羽のコウノトリが舞っていた。冬季湛水水田は、コウノトリだけでなく様々な生き物を育み、そして農薬をできるだけ使わない安全なお米を生産していく。こんなに素晴らしいことはないだろう。
 純白の美しいハクチョウであるが、泥の中から出てきた顔は真っ黒である。
NPO法人コウノトリ市民研究所
主任研究員 稲葉一明
2007年2月11日掲載


モウソウチク;悩ましい竹林の拡大


 竹林が大変である。どんどん広がっていて手に負えない。
 竹といってもいろいろ種類がある。ここでいう竹は、主にモウソウチクである。モウソウチクは1700年代中頃に中国から持ち込まれた。以来大切に栽培され、タケノコが食用されるだけでなく、加工されて工芸品になったり、防災の役割を果たしたりもしてきた。
 ところが最近では全く管理されずにほったらかしにされている。管理の有無は、竹林に近づいてみれば一目瞭然である。大雑把にいうと傘をさして中を歩けなければ管理失格である。近くの竹藪で確かめてみてほしい。傘がさせず、細い竹が多かったり、竹が枯れていたり、折れていたら管理が放棄されてから久しい。
 1990年頃から異常なほどの竹林の拡大が報告されるようになった。人が利用しやすい丘陵の脚部や斜面の下部にだけあった竹林が中腹から尾根まで広がり、山全体が竹林で覆われているような場所さえ見られるようになってきている。
 ではどうすればいいのか。簡単なことである。伐ればいい。しかし、いうはたやすいが、竹林の管理は非常に大変である。
 モウソウチクは、地下茎で広がっていくが、その速さは1年に2mほどだといわれている。竹林から30mほど離れた場所でもタケノコが出ることがあり、その広がる力は強力である。個人の抵抗ではなかなか勝てない。
 かつて勤務していた小学校には広い学校林があり、そこに竹がたくさん生えていた。その竹に挑んだことがある。竹の数があまりに多いので伐るのはあきらめた。タケノコの時期にやっつけて増加だけは止めようと思った。まずはタケノコ掘り。300人以上の児童が全員持ち帰った。残りは堅くなる前に自然科学クラブの子どもたちと蹴飛ばした。そんなことを何年かしてみたが、現状維持も難しかった。再挑戦を考えている今日この頃である。

 ここは、雑木林の中にモウソウチクが侵入している。大木は、竹の上につきだしている。だから枯れることはまずない。しかし、竹よりも低い木は近い将来枯死する。

 植林の中にモウソウチクが入っている。背が高いものは残るが、低いものは枯れてしまう。下の写真の茶色の幹は、枯死した植林の木だと思われる。

 竹炭などいろいろな試みがされているが、決め手に欠けている。
 
 地上部の全てを伐っても、1年で枯死することはない。翌年には、細い竹が出てくる。モウソウチクとは全く別物のように見えるが、生き残っている地下茎から出てきたモウソウチクである。これを放置しておくと翌年くらいにはそれらしい太さのタケが出てくる。そうなると元に戻るのは近い。数年間刈り続けるとさすがのモウソウチクも枯れる。


オオカマキリ(カマキリ科)

砂浜に見た命のリレー
 
 秋の日本海の砂浜。海浜植物の花で色鮮やかな季節とは対照的に、静けさに包まれ、荒波の音だけが辺りに響く。この頃、砂浜でよく見られる現象が、生きものの漂着である。陸や海から多種多様なものが波打ち際に運ばれ、夏とは違った情景を見せてくれる。
 昨年11月、僕は日本海の砂浜を歩いていた。その日もいろんなものが打ち上げられていた。日常の人工物に混じって、海藻や植物の種子が目立つ。僕は流木に腰掛け、水筒のお茶で少し休むことにした。曇天の空に時化た海。いつもの日本海の光景だった。やがて雲の切れ間から日が差し込んできたそのとき、僕は打ち上げられた1匹のオオカマキリを見つけた。
 陸上の生きものの漂着はそう珍しいことではない。この個体も、きっと産卵を終え力尽きた個体なのだろう。僕はカメラを向けた。と、その瞬間、前脚がわずかに動いた。生きている!かすかに前脚を構える姿は、迎える最期を静かに受け入れようとしているかのようだ。でも、僕の衝動はこれだけではなかった。何とおなかには無数のトビムシの仲間が集まり、まさにこの個体を食べている最中だったのだ。
 トビムシの仲間は砂浜に生息する小さな生きもので、漂着する海藻などを摂食する、いわゆる砂浜の分解者である。分解された有機物はやがて海浜植物の栄養源となっていく。生きながらにして、亡骸になるそのときまで命を営むカマキリ…。単なる自然の摂理や食物連鎖という言葉だけで説明できない強い衝動を、僕は覚えた。ひとつたりとて無駄な命はないということを、強く深く教えられたのだ。
 但馬の秋。生きものたちはやがて訪れる冬に備えて準備し、ある種はその営みを次代に受け継いでその短い命を終える。このカマキリも、きっと次の春には綺麗な花となって砂浜を彩るに違いない。
(2007年1月14日掲載)
NPO法人コウノトリ市民研究所 主任研究員 竹田正義


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